1月20日に大阪高裁にて、交通事故で亡くなられた当時11歳の児童について、聴覚障害があることをもって、健常児と区別して逸失利益を減額せずに算定すべきだとする判決が出ました。
逸失利益というのは、事故により死亡や後遺障害が残ってしまって場合に、「事故が無ければ本来得られるはずだった金銭」を損害として認めるものです。
すでに社会人であれば、基本的に直近の収入を基礎として算定するのですが、子供の場合は男性や女性の全体の平均年収で算定するのが基本とされています。
しかし、障害児については長年、平均賃金から逸失利益を減額するというのが裁判実務でした。これは、障がい者が平均的な収入を得られるはずがないという前提を司法が認めてしまっていたということです。
確かに、障がい者の平均年収は、障がいの内容にもよりますが平均給与より低いという事実はあります。しかし、障がいがあるだけで、当然に平均年収も稼げないと決めつける、まして小学生についてもその法理を適用するというのはあまりに乱暴かつ、障がい者の個々の人格・能力を無視していると思います。
長年に渡り、多くの方や弁護士がこの点を批判し、障がいを以って一律の減額は不当であると訴え続けてきましたが、ようやく覆ったということです。
本判決は事例判断であり、今後、すべての障がい者について逸失利益の考え方が見直されるということではないでしょう。大阪高判は「補聴器や手話を使い、学年相応の学力や高いコミュニケーション能力を身につけていた。収入を減額すべき程度に労働能力の制限があるとはいえない」と判示しており、亡くなられた児童の能力をきちんと考えた上での判断ということには注意が必要です。
しかし、同時に「デジタル化を中核とする技術の進歩も相まって、聴覚障害者にとって社会的障壁となりうる障害も、ささやかな合理的配慮により職場全体で取り除くことができるようになっている」とも判示しています。この理論は聴覚障害者以外にも妥当するはずです。
よって、今後は①被害に遭われた方の個別事情②社会環境や最新の技術の2点を強調することで、逸失利益について障害者であるから減額するという言い分(保険会社はこのように言ってきます)と戦えるのではないかと思います。
障がいがあるから能力が低い、稼げないというステレオタイプな決めつけ、偏見が無くなっていくことを私としても切に願っています。